Always三丁目の夕日を見た。いろんなところでぐっとなみだが出てきてしまうね。
ちいさなちいさなストーリーなのだけれど。
薬師丸ひろ子はとてもやさしいお母さん。子役のふたりがほんとにむかしの子供でいいね。


「あれ」と思ったところが二つあって、そのひとつは、子供たちが幾人もフラフープで遊んでいたところだ。フラフープというのはわたしが幼稚園だか小学一年生ぐらいだったか、その頃にはやって近所の子供でラッキーにも買ってもらえたこが回していた。うちは母親が「あれを回すと体によくない」と言って買ってくれなかった。


 しかしそんなどの子も買ってもらえるようなおもちゃではなかった。そもそも、あの五十年代、六十年代の初め頃はちょっとしたおもちゃでもどの子でも買えるというものではなく、ラッキーな子供がひとりぐらい買ってもらえたのを「いいな、貸して、貸して」と言ってまわりの子たちが借りたような気がする。だっこちゃんもそうだったし。


 ましてクリスマスのプレゼントなんか。サンタが持ってくるなんてハイカラな発想はきっと上流家庭のうちでないとなかったのではないかな。


 それと、六子ちゃんは年末にきっぷをプレゼントされて青森に帰るけれど、あの汽車ががらがらというのも信じられない。年末は帰省で満杯だと思うのだが。
 それと、路地を歩くおかみさんたちが、着物に割烹着姿が多いけど、足はぞうりやサンダルを履いている。あのころ、はだしに下駄履きが多かったのではないかしら。


 今思い出したのだが、あの映画には風呂のシーンがないね。風呂のあるうちからは、夕刻になると細い煙突からゆらゆら煙が昇って火花がパチン、パチンとはじけている。魚を焼く煙も流れてくる・・・、という典型的な風景がなかった。


 でもわたしのなみだを流させるくらい、なにかあたたかい映画だった。配役がとてもよかった。